福岡と言えば、博多辛子明太子ですよね。
イヤイヤ私は「モツ鍋」、と言う方も中にはいらしゃると思いますが、今回は「辛子明太子」をピックアップしてみたいと思います。そもそも、「辛子明太子」とは?と言う方の為に、歴史をご紹介します。
「辛子明太子」は博多で誕生し、地元の方に長く愛され続けられてきた福岡のソウルフードです。「辛子明太子」はタラ科の「スケトウダラ」と言う魚の卵巣を使い、卵巣を「タラコ」と呼び、タラコと唐辛子や香辛料と合わせて漬け込んだ物が「辛子明太子」です。「辛子明太子」はご飯のお供として広く知られています。「辛子明太子」は欠かせない方もいらしゃるほど昔からどこの家庭の食卓上がっていたほどです。
「明太子」の起源は17~18世紀頃と言われております。
当時の朝鮮の漁師達は「スケトウダラ」を捕ると切り身よりも卵を取り出し塩辛などを作っていたそうです。その塩辛を唐辛子などにまぶして保存した物が「辛子明太子」の原型と言われています。
のちに韓国から海を越えて九州に渡り、福岡の老舗辛子明太子製造の「味の明太子ふくや」の初代社長・川原俊夫氏が韓国キムチからヒントを得て、昭和24年1月10日に商品化されたのが「辛子明太子」となるそうです。
「ふくや」さんの歴史!
「ふくや」は昭和23年10月5日に、博多・中州の一角に小さな食料品店が生まれ、当時の博多の街は戦災で焼け野原となり、少しずつ復興の兆しが見え始めたところ、店主の川原俊夫氏は妻の千鶴子さんと共に始めた小さいお店が、その後半世紀以上つづく「ふくや」のはじまりだそうです。川原氏は戦時中の幼少期を韓国の釜山で過ごされ、そこでの庶民の食べ物「たらこのキムチ漬」の味が忘れられず、戦後引き揚げた博多でその味を再現すべく、創意工夫を重ねて、そして昭和24年1月10日、商売繁盛を願う十日恵比須神社大祭の日、日本で始めて「味の明太子」を売り出したそうです。
その後、「辛子明太子」は九州から全国へと広がり、今や日本中が知りうるソウルフードとなりました。今や全国各地で、料理に幅広く使われており、日本人の食文化にしっかりと寝付いています。